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雨晴ネットワーク@サロン バックナンバー

過去に紹介したエピソードをアーカイブして掲載しております。掲載時の画像等は、割愛してあります。

「マンボウの見たけしき(作:高岡市立古府小学校K.Uさん)」

日本から遠くはなれた南の海に、マンボウのマンタロウが住んでいました。
 マンタロウは、きれいなものやめずらしもの、そして、楽しいことが大好きで、毎日、イルカやクジラと遊んだりしていました。
 ハワイへ行ったときは、海水よくに来ている人たちがたくさんいて、マンタロウも楽しくてはしゃぎまわっていました。
 ある日、マンタロウは、南極に行きました。
そこでは、ペンギンたちと遊びました。
ペンギンは、
「おーい、マンタロウ君、いっしょにおにごっこしようよ!」
とマンタロウに言いました。
マンタロウは、
「いいよ。でも、君たちは鳥なのに泳げるのかい?」
「ぼくたちは鳥だけど、泳ぎはとくいなんだ。」
ペンギンは言いました。
「じゃあ、ぼくがさいしょにオニになるよ。10数えるあいだににげてね。」
マンタロウがそう言うとペンギンたちはいっせいに泳ぎだし、あっというまに見えなくなってしまいました。マンタロウは、いっしょうけんめい泳ぎましたがとても追いつけません。追いかけているうちに南極から遠くはなれ、気がつくと日本の近くまで来ていました。
「ペンギンさんたち、どこへ行っちゃったのかなぁ・・・。」
と 、キョロキョロしながら言いました。
そのときです。一枚の新聞が流れてきました。その新聞には、こう書いてありました。
《海から見える三千メートルの級の山々 雨晴海岸》
その新聞にはとてもきれいな写真ものっていました。
「そうだ!ここへ行ってみよう。」
マンタロウは、おにごっこをしていたこともわすれ、頭の中は新聞で見たきれいなけしきでいっぱいでした。マンタロウは、泳ぎは上手ではありませんが、いっしょうけんめいにその雨晴海岸をめざして泳ぎました。
とちゅうで白エビたちにかくれんぼにさそわれましたが、マンタロウは、
「今いそいでいるから、またね」と言って雨晴海岸をめざしました。
 あるとき、道にまよいそうになったとき、たくさんのブリに出会いました。
「ねえ、ブリのみなさん、この海岸へ行きたいんだけど、どうやって行けばいいの?」
「ここだったら、ちょうどこれから行くところだよ。ぼくたちの散歩道なんだよ。いっしょに行こうよ!」
マンタロウは、ブリたちといっしょに行くことにしました。ブリもペンギンと同じようにはやく泳ぎましたが、マンタロウはなんとかがんばってついていきました。
「マンタロウ君、あそこに見える岩が、その新聞にでてる岩だよ。じゃあ、ぼくたちは、ここでお別れだよ。」
「ブリさんたちありがとう。ここまで来れば、あとは一人でもだいじょうぶ。ほんとうにありがとう。」
マンタロウは、ブリたちにさようならを言ってけしきが一番よく見える場所まで泳いでいきました。
そのけしきは、マンタロウが生まれて初めてみた、とてもすばらしいものでした。マンタロウは、時間がたつのもわすれ、ずっと長い間、きれいなけしきにみとれていました。
「こんなすばらしい、きれいなけしきは初めて見た。ずっと見ていたいけれど、帰らなくちゃ。みんな、心配しているかもしれない。」
そう思ったマンタロウは、南の海に向かって泳ぎ出しました。
マンタロウは、いつのまにか、とっても泳ぎがうまくなっていました。

※原文のまま掲載しておりますので、漢字が少ないなど、読みづらい点はご理解ください。

遠方から視察 アカマンボウが雨晴海岸に

雨晴海岸にアカマンボウが打ち上げられました。折も、折、雨晴海岸からの眺望が新聞その他でとりあげられている頃。山手線車体広告アカマンボウもこのすばらしい眺望を一目見たいと思いここまでやってきたのでしょうか。うちあげられ場所は、女岩越しに立山連峰が眺望できる絶好のポイント。波打ち際まできて見とれているうちに潮が引き、戻れなくなったのではないでしょうか。  アカマンボウも視察?に訪れる雨晴海岸。もっと多くの方にその目でご覧いただきたいものです。

2005年 NHK大河ドラマ「義経」

平成15年12月15日(月)、観光協会会長の勇永さんと専務理事の滝田さんが、高岡商工会議所の中山課長さんとともに、NHK富山の布施局長を尋ねました。2005年NHK大河ドラマ「義経」のラスト5分の名所紹介に、ぜひ雨晴を加えていただきたいと義経の歴史資料を渡し、お願いをしてきました。山手線車体広告NHKということで、歴史に真実性を持たせたいので、よく調べるとの事や、全国いたるところで義経の伝説があるので、希望に沿えるかは大変むずかしいことだが、東京のテレビ局にも知っている人がいるので、ぜひ話をしておきますと局長さんのあたたかいお答えをいただきました。  また、主演の方がプライベートで、夏ごろ雨晴を訪れ、地元ホテル「磯はなび」に宿泊されたことが、高岡あたりで大変話題になっております。きっと、義経の伝説がある雨晴海岸や義経岩を見に来られたのかなぁっと思います。ぜひ、次期大河ドラマのラストに雨晴が紹介されることを、切に願っています。

「雨振から雨晴へ」 山口県大島郡東和町から来られました

2003年8月、山口県大島郡東和町より、「雨を降らす(雨振あまふり)から、雨を晴らす(雨晴あまはらし)まで旅行をしよう」ということで、20名の方が観光に来られました。日帰り旅行?だったそうで、20名の方々は、国泰寺→武田家→雨晴海岸散策→雨晴駅移動キャスター写真撮影→磯はなび風呂入浴と観光されました。一行が帰られた後にお話を聞いて、「雨振」ってどこだろうということになり、インターネットで探しました。なかなか「雨振」という地名を探すのは大変で、見つけたときは、ホッと安堵したといいますか、うれしい気持ちになりました。そこで、問い掛けです。「雨振」のみなさ〜ん、雨晴観光はどうでしたか?ぜひ、ご感想をお聞かせください。メールお待ちしています。 本当は、こちらから連絡をとって感想をお聞きしたく、市役所の方に問合せのメールをしましたが、残念ながらお返事いただけませんでした。

「長い旅のゴール」 雨晴海岸に漂着した将棋の駒

2003年11月9日、毎年恒例のノルディックウォーキングを行うため、雨晴海岸のスタート地点に集まっていた時に、波打ち際にプカプカと漂っている物を発見しました。近寄ってみると、それは、飾り駒(将棋の駒)でした。どれだけの年月を海で過ごしてきたのかと思わせるように、角は丸くなって、表面の加工も剥がれているようです。裏には、稚山作と書かれていました。将棋駒といえば、山形県天童市。そこで、その駒を持ち帰って、問い合わせてみました。そうしたら、「稚山」さんは、とても有名な彫り作家だと教えていただきました。飾り駒というものは、将棋好きな方が将棋が上手くなるようにと願って飾っておくものだそうです。昔話の桃太郎のような、お話。どこから流れてきたのかわかりませんが、ながい旅をしてきた駒を雨晴の大事なお客様として、大事にしていきたいと思います。この駒は、駅構内のサロンに展示してあります。

「雨晴海岸を世界遺産に」 高岡市立志貴野中学校3年生の杉本君からの提言

高岡市立志貴野中学校3年生の杉本君が「雨晴海岸を世界遺産にしよう!!」という課題に取り組まれました。杉本君からいただいた、
1.これまでに雨晴海岸を他の都道府県や国に広めようとした活動したことはありますか?
2.また、これからそのような活動をしていく予定はありますか?
という質問に対して次のように回答いたしました。

  • JR雨晴駅「入場券カード」をトータル8000枚完売。これは雨晴海岸の写真とJR雨晴駅入場券をセットにしたものであり、旅行の思い出に、また雨が晴れるにかけて、「心も晴れるお守り」として雨晴をPR。
  • 「立山の雪の大谷」とタイアップしてバスで実際雨晴まできて、すばらしい光景を体感してもらうための雨晴海岸ウオーキングも取り入れています。
  • フィンランド協会と協賛でノルディクウォーキングを行い、外国の方々との交流も行い雨晴海岸の良さをPRしています。
  • 太田雨晴観光協会のホームページにて、太田、雨晴(国泰寺、雨晴海岸、史跡等)を全国に発信しPRしています。

残念ながら太田雨晴観光協会だけでは、 世界遺産に登録しようという行動をすることは、 なかなかできませんが、皆様の意見も参考にしながら、関係部所への働きかけ、推進活動及び調査を進めていきたいと考えております。